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「第一犠牲者」さんは無残な姿で発見されました(21:34:38) |
19GM | ・ミヒャエル・エンデ1929.11.12 ドイツの作家。最初の妻は8歳年上の女優インゲボルク。彼女の存在はエンデの創作に多大な影響を与えた。ちなみに彼の母ルイーゼも父エトガーより9歳年上だが離婚している。 ・沢田教一1936.2.22 戦場カメラマン。ベトナム戦争の「生存のための逃走」でピューリッツァー賞を受賞。妻は11歳年上のサタ ・ジョン・レノン1940 1歳年上のシンシア・パウエルと離婚し、6歳年上のオノ・ヨーコと結婚した ・ポール・マッカートニー 1歳年上の妻リンダは夫を公私にわたり支え続けたが、乳がんで亡くなった ・モーリス・クラフト1946.3.25 フランスの火山学者。4歳年上の妻カティアと危険な火山写真の撮影に生涯を捧げた。雲仙岳の撮影中に火砕流に巻き込まれ共に命を落した。 ・チャールズ3世1948.11.14 イギリス国王。人気のあったダイアナ妃と離婚し1歳年上のカミラ妃と結婚した。 ・カール16世 スウェーデン国王。2歳年上のシルビアに一目惚れし結婚した。シルビアはナチス党員の娘であったため当初は不人気であったが持ち前の明るい性格で国民の人気を勝ち取った。 ・マイケル・アリス イギリスのチベット学者。妻は1歳年上のアウンサンスーチー。妻の民主化活動をロビー活動により支援したが、自宅軟禁により引き離され二人が再会することは叶わなかった。 ・エマニュエル・マクロン フランス大統領。妻は25歳年上の教師ブリジット |
18GM | ・ジャクソン・ポロック1912.1.28 アメリカの画家。アクション・ペインティングの先駆者。4歳年上の妻リー・クラズナーは夫の宣伝に貢献し、「ポロックはクラズナーの作品である」ともいわれた。 ・大場栄1914.3.21 日本の陸軍軍人。妻は2歳年上の峯子。戦地での彼と留守を守る妻との間に交わされた手紙から二人の絆の深さが窺える。栄はサイパン島の激戦を息抜き戦後妻との再会を果たした。 ・レイモン・オブラック 1914.7.31 フランスのレジスタンス活動家。妻はレジスタンス同志で2歳年上のリュシー。彼女はナチスに捕らえられた夫を4ヶ月かけて救出した。 ・アウンサン1915.2.3 ビルマ独立の指導者。妻は3歳年上のキンチーで夫が暗殺された後も子供達を女手一人で育て上げた。 ・ヘンリー・カットナー 1915.4.7 アメリカの作家。妻は4歳年上のC.L.ムーア。夫婦で多くの作品を共同執筆した。 ・ジョン・バジロン 1916 アメリカの海兵隊員。ガタルカナルの戦いで戦果を挙げ名誉勲章を受章。妻は同じく軍人で4歳年上のリーナ。ジョンが硫黄島で戦死すると彼女は生涯独身を貫いた。 ・田中角栄 1918 8歳年上のはなと結婚。はなは表に出ず陰で夫を支えた。 ・崔圭夏 1919 韓国大統領。妻は3歳年上の洪基。家庭的な彼女は家政婦を雇わず自らの手で家事を行った。妻が病に倒れると崔圭夏は献身的に介護を行った。 ・リー・クアンユー1923 シンガポール初代首相。妻はケンブリッジ大同窓で3歳年上のクワ・ゲオ・チュー。聡明な彼女は精神的・財政的に夫を支え続け、おしどり夫婦として知られた。 ・金大中 1924 韓国大統領。3歳年上の妻李鎬姫は夫の政治活動を生涯にわたり支え続け、夫が民主化運動に連座して投獄された際には毎日手紙を書き続けた。 ・キング牧師1929.1.15 妻は2歳年上のコレッタ。彼女は歌手になるという夢を犠牲にして夫の人権運動を支えた。 |
17GM | ・トールキン1892.1.3 イギリスの作家。指輪物語の作者。妻は3歳年上のエディス。彼女とのデートから着想を得て「ベレンとルーシエンの物語」が作られた。 ・ハイレセラシエ1世 1892.7.23 エチオピア最後の皇帝。妃は3歳年上のメネン・アスファウ。聡明な彼女は赤十字の支援、女性教育の発展に努め、皇帝も自伝で彼女の善良さを称えた ・趙元任1892.11.3 中国の言語学者。妻は3歳年上の楊歩偉。自由恋愛により結ばれ、儀式や祝い金を省くという結婚様式は「新式結婚」と注目を浴びた。 ・ヘルマン・ゲーリング1893 ヒトラーの側近。5歳年上のカリンと結婚。二人は深く愛し合ったが病弱な妻は43才で亡くなった。ゲーリングは彼女に因んでカリンハルと名付けられた別荘を建て、自邸にもカリンの記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方で後妻エミーも深く愛した。 ・アルヴァ・アールト 1898 フィンランドの建築家。4歳年上のアイノ。夫婦で建築に身を捧げ、妻が亡くなるまで作品にはアルヴァとアイノと署名した ・アル・カポネ 1899 アメリカのギャング。妻は1歳年上のメアリー。彼女は家族からの反対を押し切ってカポネと結婚。夫をハニーと呼び、投獄されると何通も手紙を書き頻繁に訪問した。稀代の大悪党であるが良き伴侶には恵まれたようだ。 ・スカルノ1901 インドネシアの初代大統領。11歳年上の妻インギットは夫の独立活動を支えたが一夫多妻制を拒否して離婚した。 ・直良信夫 1902.1.1 日本の考古学者。明石原人の発見者。妻は11歳年上の教師音。才色兼備の彼女は生涯病弱な夫の研究生活を支え続けた。 ・オーラブ5世 1903.7.2 ノルウェー国王。2歳年上のマッタと結婚。美人で明るい彼女は誠実な夫と共に国民から人気であった。ナチスドイツの侵略の際には海外亡命し、国際的な援助を募った。 ・マックス・マローワン1904.5.6 イギリスの考古学者。妻は14歳年上のアガサ・クリスティ。 ・ダリ 1904.5.11 シュルレアリスムの大家。妻は10歳年上のガラ。彼女は若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズ、マネージャーとして夫の創作活動に貢献し、妻が亡くなるとダリは創作を辞めてしまった。 |
16GM | ・アーネスト・シャクルトン1874 イギリスの南極探検家。妻は6歳年上のエミリー。彼女は夫の探検のために必要な財政的支援を行い、夫の留守中女手一人で子供達を育てた。 ・フリッツ・クライスラー 1875.2.2 オーストリア出身の作曲家、ヴァイオリニスト。妻は6歳年上のハリエット。彼女は怠惰な夫の生活を厳しく管理し有能なマネージャーとして創作活動を支えた。 ・大森兵蔵 1876 YCA体育教授。日本に初めてバレーとバスケを紹介した。妻は20歳年上のアニー。夫婦で教育施設「有隣園」を設立・運営し、夫の死後もアニーはその志を継いで運営を務めた。 ・カール・ヤスパース1883 ドイツの実存主義哲学者。4歳年上のガドールートと結婚。彼女はユダヤ人であったためナチスに弾圧されたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、逮捕される寸前で連合軍に助けられた。 ・レイモンド・チャンドラー1888 アメリカの作家。フィリップ・マーロウシリーズの著者。妻は18歳年上のシシー。彼女の死後悲しみから酒浸りになり自殺未遂もするが周囲の助けで復帰した。 ・奥村博史 1889 画家。妻は3若しくは5歳年上の平塚らいてう。彼女と同棲関係にあったときに残した「若い燕は池の平和のために身を引く」という言葉が若い燕の語源となった。 ・ハワード・ラブクラフト1890 アメリカの作家。クトゥルフ神話の原作者。妻は10歳年上のソニア。夫人は事業が失敗した後も就職のために移住し夫に仕送りを続けるなど献身的であったが、親族の反対などが原因で離婚した。その後も文通を続けるなど関係は良好であった。 ・三上於菟吉1891.2.4 日本の作家。内縁の妻は12歳年上の長谷川時雨。時雨は無名だった三上を売り出すべく努め、有名になった彼の放蕩も「三上さんはあのやり方で無くては書けないのです」と認めた。 ・コール・ポーター1891.6.9 アメリカの音楽家。8歳年上のリンダは彼が同性愛者であることを知りながら結婚に応じ生涯夫婦仲は良好であった。 |
15GM | ・ルイス・ウェイン1860.8.5 イギリスの画家。10歳年上の妻エミリーは結婚後3年で亡くなった。病に苦しむ妻を楽しませようと飼い猫のピーターに人間のポーズを取らせたことがきっかけで擬人化された猫の絵を描くようになった。 ・ヒャルマル・ブランティング1860.11.23 スウェーデン首相。5歳年上のアンナと結婚。作家・評論家として活躍した彼女は夫が貧困状態にあったときも支えた。 ・フリチョフ・ナンセン1861 ノルウェーの探検家・政治家。妻は3歳年上のエヴァ。フロム号での北極探検中に発見した島を妻と娘の名にちなんでエヴァ・リブ島と名付けた。フロム号の名付け親も妻エヴァである。 ・新渡戸稲造1862 5歳年上のメアリーと国際結婚。互いの両親の反対を押し切って結婚、夫婦共に教育に身を捧げた。 ・陸奥廣吉1868 日本の華族・外交官。陸奥宗光の息子。妻は1歳年上のエセル。外国人の庶民との結婚であったため父に反対されるがその死後結婚し、生涯を共にした。 ・レーニン 1870 1歳年上のナデジダと結婚。彼女はレーニンと共に革命運動に身を捧げ、夫が病に倒れた後も熱心に介護した。 ・ウィリアム・ヒーリス1872.2.18 イギリスの弁護士。妻は5歳年上の絵本作家ビアトリクス・ポター。ナショナルトラスト運動に携わったポターは不動産契約に携わるヒーリスと共感し合い共に環境保護に生涯を捧げた。 ・ホーコン7世 1872.8.13 ノルウェー国王。3歳年上のモードと結婚。彼女は慈善活動、芸術家への支援を行った。 ・フランシスコ・マデロ1873 メキシコの革命家、大統領。3歳年上のサラと結婚。サラは夫が反政府運動で逮捕された際には刑務所の近くに家を借り可能な限り多くの時間を夫と過ごした。 |
14GM | ・ロバート・スティーブンソン1850.11.13 スコットランドの作家。10歳年上のファニーと結婚、彼女は病弱な夫を生涯支え続けた。「宝島」は妻の連れ子を楽しませるために創作された。 ・ドク・ホリデー1851 西部開拓時代のガンマン。OK牧場の決闘で有名。内縁の妻は1歳年上のケイト。共に知識人であったが気性の荒かった二人は度々喧嘩をしたが必ず和解していた。ケイトは夫が殺人容疑で逮捕された際には町に放火して救出した。 ・明治天皇 1852.11.3 3歳年上の昭憲皇后と結婚した。夫婦仲は良かったが、子は産まれなかった。女官の山川三千子は二人を理想の夫婦と称えた。 ・トゥク・ウマール 1854 インドネシアの軍人。6歳年上の妻チュ・ニャ・ディンと共にオランダの侵略に対してゲリラ戦で抵抗し続けた。トゥク・ウマールが戦死した後も妻は娘と共にオランダとの戦いを継続した。 ・同治帝 1856 清の皇帝。2歳年上の李哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。寂しさを紛らわせるために遊郭に通うようになりそこで梅毒に感染して没した。 ・エドワード・エルガー 1857 イギリスの作曲家。妻は8歳年上のキャロライン。聡明な彼女は家族に勘当されてでもエルガーと結婚、夫の創作活動を支え続けた。愛の挨拶は彼女に捧げて作られた曲である。キャロラインは「天才を育てるのは女性にとって人生を捧げるに値する」と語った。妻の没後創作活動は衰えた。 |
13GM | ・小松帯刀 1835 薩摩藩士、維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で最初に新婚旅行をしたのは坂本龍馬では無く小松帯刀ではないかとされることもある。 ・ヘンリー・キャンベル=バナーマン 1836 イギリスの首相。妻は4歳年上のシャーロット。彼女は野心に欠ける夫の政治活動を支 え、彼女の死後健康状態が悪化するようになった ・ワイルド・ビル・ヒコック1837.5.27 西部開拓時代のガンマン。11歳年上の未亡人アグネスと結婚。残された手紙から二人の愛情の深さが窺えるが、結婚後すぐビルが暗殺されしまったため幸福な結婚生活は短い物となった。 ・ロバート・グールド・ショー1837.10.10 南北戦争の英雄。2歳年上の妻アニーは夫の戦死後独身を貫いた。 ・エミール・ゾラ1840 フランスの文豪。妻は1歳年上のアレクサンドリーヌ。彼女の存在はゾラの作品に影響を与え、ゾラがドレフュス事件で危険にさらされたときも行動を共にした。 ・ヴィルヘルム・レントゲン1845 ドイツの物理学者、X線の発見者。父親からの反対を押し切って6歳年上のアンナと結婚。経済的支援を打ち切られたため貧困状態になるが妻は懸命に夫を支えた。世界初のレントゲン写真は妻の手を写した物である。 ・ジェシー・ジェームズ1847 西部開拓時代の大強盗。妻は2歳年上の従姉妹ゼレルダ。彼女は悪党であった夫を深く愛し続け、彼が部下に暗殺されるとその悲しみから鬱病になった。 ・アルトゥール・フォン・ズットナー1850.2.21 ドイツの平和主義者。家庭教師であった7歳年上のベルタと恋に落ちる。両親の反対に遭ったため秘密裡に結婚、共に平和活動に生涯を捧げた。ベルタは反戦小説「武器を捨てよ」を執筆しノーベル平和賞を受賞した |
12GM | ・チャールズ・ダーウィン 1809 1歳年上のエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子供の死に耐え病弱な夫をよく支えた。臨終の際ダーウィンは妻に「お前は良い妻であったと覚えておきなさい」と言い残した。 ・ジョン・マクドナルド 1815 カナダ初代首相。妻は6歳年上の従姉妹イザベラ。彼女は長子の出産後に健康状態が悪化。マクドナルドは妻の回復のために手を打つがあえなく病死してしまった。 ・カール・マルクス 1818 4歳年上のイェニーと結婚。彼女は親族からの激しい反対を押し切って結婚し、貧困生活の中で夫を支え続けた。マルクスもイェニーを「私の婚約者は私のために最も苦しい戦いを戦ってくれた」と称えた ・勝海舟1823 2歳年上の民子と結婚。彼女は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めてくれるなと言い残した。 ・ペドロ2世1825 ブラジル皇帝。妃は3歳年上のテレーザ・クリスティーナ。不美人であった妻を冷遇したが、聡明で心優しい彼女は夫の不貞に悩まされながらも献身的に尽くし続け、妻が亡くなると皇帝は深く悲しんだ ・ロバート・ガスコイン=セシル(3代ソールズベリー候)1830 イギリス首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚ししため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。政治記事の投稿で生計を立てたが、聡明な彼女は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界で活躍した。 ・ジェームズ・マクスウェル1831 スコットランドの物理学者。7歳年上の妻キャサリンと結婚。彼女は夫の研究生活を支え続け、友人の詩人ルイス・キャンベルは「他に例のない献身の一つ」と称えた。晩年妻が病に苦しむようになるとマクスウェルはキャリアを犠牲にして妻を介護した。 ・マネ1832 フランス印象派の画家。弟の家庭教師であった2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネはシュザンヌをモデルにした絵画を何点か残した。 |
11GM | ・ハンス・アンデルセン 童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳年上のアンネ・マリーと結婚した。 ・ジョージ・スティーブンソン1781 イギリスの発明家。初恋の相手は3歳年上のベティだったが、貧しかったため結婚を認められなかった。9歳年上のフランシスと結婚し2子を儲ける。フランシスの死後実用的蒸気機関の発明で裕福になった彼は初恋の相手と結婚し、幸福な結婚生活を送った。 ・ミラード・フィルモア1800 アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイルと結婚。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治的アドバイスを求めた。ホワイトハウスに図書館を建設したのもアビゲイルである。 ・ベンジャミン・ディズレーリ1804 イギリス首相。妻は12歳年上のメアリー。当初は金目当てで結婚したが次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその関係を模範的と称えた。 ・ジョゼフ・スミス1805 アメリカの宗教家、モルモン教の創始者。多くの妻を娶ったが、法的な妻エマは1歳年上。エマは文盲のジョゼフに変わりモルモン書の筆記をするなど夫の宗教活動を懸命に支えた。また妻の一人エライザも1歳年上で彼女もジョゼフを深く愛した。 |
10GM | ・レオポルト2世1747 神聖ローマ皇帝。2歳年上のマリア・ルドヴィカと結婚。美人で親切な彼女は夫に対し献身的で愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性の美徳のモデル」と称えられた。 ・上杉鷹山1751 10歳年上の側室お豊の方は賢妻として知られる。 ・ヨハン・フィヒテ1762.5.19 ドイツ観念論の哲学者。7歳年上のヨハンナと結婚。ボランティア介護の最中にチフスに感染した妻を看病し病死してしまった。 ・ジョージ4世1762.8.12 イギリス国王。6歳年上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になるが、彼女が平民出身のカトリック教徒であったため結婚は認められず秘密結婚となった。正妻キャロラインのことは冷遇したため、国民は彼女に同情した。 ・ナポレオン・ボナパルト1769 6歳年上の妻ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し彼女は夫のラブレターを晒して笑いものにするなど当初は良好とは言えない夫婦関係であった。しかし、二人はやがて深い絆で結ばれるようになった。跡継ぎに恵まれなかったため離婚したが、彼女は皇后の称号を所持することが許され続け、後妻が嫉妬するほど仲がよかった。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。 ・ロバート・ジェンキンソン1770 イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚。ルイザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書をコピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の救護にも当たった。 |
9GM | ・ジョージ・ワシントン1732 1歳年上の未亡人マーサと結婚した。穏やかで家庭的な性格の彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争の最中は夫に同行し傷病兵の看護に当たった。大統領就任後も夫の健康を気遣い、パーティーを早めに終わらせるなどした。 ・グレゴリー・ポチョムキン1739 ロシアの軍人。10歳年上の女帝エカチェリーナ2生の事実上の夫。二人は深い絆で結ばれポチョムキンは妻の統治を支え続けた。晩年は冷遇されるようになったが、彼が亡くなると女帝は深く悲しんだ。 ・ジェームズ・ボズウェル1740 スコットランドの作家。サミュエル・ジョンソンの伝記ジョンソン博士伝の著者。2歳年上の妻マーガレットと結婚。ボズウェルは不倫を繰り返したが、マーガレットは夫を献身的に支え続け離婚の申出も拒絶した。 ・ウィリアム・ヘンリー1743 イギリスの王族。7歳年上の平民の未亡人マリア・ウォルポールと秘密結婚。後述する弟のヘンリー・フレデリックと相まって王の同意無しの王族の結婚を禁止する王室結婚砲が制定されるきっかけとなった。 ・伊能忠敬1745.2.11 4歳年上の妻伊能ミチの元に嫁いだ。残された手紙からミチは婿養子であった伊能を軽んずることなくよく尽くしたようだ。 ・ヘンリー・フレデリック1745.11.7 イギリスの王族。2歳年上の平民の未亡人アン・ホートンと結婚した。 |
8GM | ・ウィリアム・シェークスピア1564 8歳年上のアン・ハサウェイと結婚。シェークスピアは妻を嫌っており遺言状の妻の取り分は「2番目に上等なベッド」だけであったという逸話は有名である。しかし、引退した彼が住み慣れたロンドンではなく妻の住むストラトフォードに帰ったこと、妻が夫と同じ場所に埋葬されることを望んだことなどから実際は良好な夫婦関係であったとする説もある。 ・徳川秀忠1579 6歳年上の江と結婚。側室を持たず、江の死後も再婚しなかった。ただその理由については江が嫉妬深かったからではないかとする説もある。 ・ジョージ・フォックス1624 イギリスの宗教家。クェーカーの創始者。10歳年上の未亡人マーガレットと結婚。彼女は夫と共に宗教活動に身を捧げた。 ・バッハ1685 1歳年上のマリア・バルバラと結婚、7人の子を儲けた。夫婦関係は円満で会ったが妻が急死したため再婚した。バッハは前妻と同様後妻も深く愛し生涯で20人の子を儲けた。 ・サミュエル・ジョンソン1709 イギリスの文学者。20歳年上の未亡人エリザベスと結婚。ジョンソンは彼女を深く愛し「結婚は多くの苦悩を生むが、独身は何の喜びももたらさない」と名言を残した ・ドゥニ・ディドロ1710 フランスの哲学者、百科全書の編集者。妻は3歳年上のアンヌ=アントワネット。父に結婚を反対されたディドロは修道院に監禁されるが脱走し、結婚に成功した。夫は性的に奔放で妻は気性が激しいという順風満帆とはほど遠い結婚生活であったが、生涯深い絆で結ばれ、妻が病に倒れたときディドロは献身的に介護した。 ・ウィレム4世1711 オラニエ公、オランダ総督。2歳年上のアンと結婚。彼女は国民に不人気であったが、残された手紙から夫婦仲は良かったことが窺える。 ・フェルナンド6世1713 スペイン国王。妃のバルバラは2歳年上。不美人な妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて深い絆で結ばれるようになった。妻が亡くなると悲しみの余り廃人となった。 |
7GM | ・フェルディナンド2世 オーストリア大公。秘密裡に2歳年上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。彼女は豊富な薬学の知識を持ち貧民の救済に努めた。 ・後花園天皇 8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた ・後土御門天皇 5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。 ・ヨハン3世1537 スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシア皇帝イヴァン4世からも離婚を要求されたが妻への愛を守り通した。カタジナは解放され即位した夫の政治に大きな影響を与えた。 ・織田信長1534 6歳年上の生駒吉乃を正室並に優遇し、病に倒れたときは頻繁に見舞った。吉乃は不明な点が多く、実際には信長よりも年下ではないかとされることがある。 ・今川氏真1538 戦国大名。今川義元の息子。甲駿相三国同盟の一環として北条家の早川殿と結婚。早川殿の生年は不明であるが彼女を氏真と同い年の北条氏政の姉であるとする説に従うなら姉さん女房である。三国同盟で結ばれた夫婦の中で唯一同盟破綻後も離婚せず生涯を共にした。 ・直江兼続1560 3歳年上の船と結婚した。妻を深く愛し側室を持たなかった。 |
6GM | ・成化帝1447 明の皇帝。19歳年上の万貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。妃の一人が男児を産むと憤死、彼女が亡くなった悲しみから皇帝も同年に没した。 ・マキシミリアン1世 1459 神聖ローマ皇帝。2歳年上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚。政略結婚であったが仲はよく、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬で亡くなったため幸福な結婚生活は5年で幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンは皇帝となる。 ・ダヤン・ハン1472 北元皇帝。7歳の時に25歳年上の先代の未亡人マンドゥフイ・ハトゥンに擁立され即位し、彼女との間に8子を儲けた。 ・アフォンソ1475 ポルトガル王子。5歳年上のイザベルと結婚。夫婦関係は良好で会ったが落馬事故で夭折。イザベルは再婚しないことを宣言したがポルトガル国王マヌエル1世と結婚することになった。 ・ヘンリー8世1491 イギリス国王。4歳年上の妻キャサリンと結婚。知性と包容力に溢れる彼女は夫に献身的に尽くし夫婦仲は良好であった。しかし、男児が生まれなかったこと、ヘンリー8世が侍女のアン・ブリーンに惚れたことがきっかけで離縁される。生涯で6回の結婚をした夫と対照的にキャサリンは生涯夫を愛し続け、死の間際にも夫を気遣う手紙を残した。 ・アンリ2世1519 フランス国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。 |
5GM | ・李ファン(睿宗) 朝鮮王。妻は1歳年上の恭恵王后。間に子は無かったが、誠実な彼女は後宮にも優しく接した。妻が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。 ・李懌(中宗) 朝鮮王。正室であった1歳年上端敬王后は即位後7日で廃位されてしまった。しかし、王は生涯彼女のことを愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った彼女は自分がよく着ていた服を山にかけた。 ・フアン アラゴン王。3歳年上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。 ・フィリップ5世 ブルゴーニュ公。1歳年上の善良な妻ミシェルは夫によく尽くし領民から愛された。 ・ルネ・ダンジュー フランスの王族、ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベルは聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間に国政や軍事を代わりに行うなどした。 ・正統帝1427 明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝がモンゴルにとらわれた際には宮中の財産を集めて身代金を払おうとするも失敗。毎日泣き続け左目が失明、足が不自由になった。モンゴルから解放された正統帝は宮廷に軟禁状されたが、その間銭妃は夫を慰め続けた。帝位に返り咲いた正統帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。 ・エドワード4世1442 イギリス国王。7歳年上のエリザベス・ウッドウィルを見初め結婚した。従兄弟のウォリック伯爵との約束を破っての結婚であったため彼の反乱で一時期海外亡命を余儀なくされた。 |
4GM | ・二条天皇 病没した近衛天皇の中宮で3歳年上の多子を寵愛した。夫の死後多子は出家し、二人の夫の菩提を祈った。 ・耶律兀欲(世宗) 遼の皇帝。12歳年上の甄皇后を寵愛した。聡明な妻の助言を聞き入れず放蕩にふけった彼は従兄弟に暗殺された。 ・徽宗 北宋の皇帝。側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが美人で詩才の会った彼女は皇帝の寵愛を受けた。 ・高倉天皇 平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し安徳天皇を儲けた。同時代に活躍した右京太夫によると夫婦関係は良好であったらしい。 ・平宗盛 平清盛の息子。1歳年上の清子が亡くなると深く悲しみ官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児能宗を大切に育て上げた。 ・寧宗 南宋の皇帝。3歳年上の温和な韓皇后、6歳年上の多芸多才な楊皇后と結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。 ・チンギスハン 正妻は1歳年上のボルテ。聡明な彼女はチンギスが弱小武将であった頃からよく支えた。チンギスの後継者は皆ボルテの息子である ・藤原頼経 鎌倉幕府将軍。妻は16歳年上の竹御所。夫婦関係は良好で会ったが、男児を死産し亡くなったため頼朝の直系は途絶えた。 ・ビルイェル スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタとは仲がよく彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。 ・フィリップ5世 フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌが姦通の疑惑で幽閉された際も彼女の無実を信じたため無事釈放された。 ・足利義満 和歌の才に秀でた7歳年上の正室日野業子を寵愛した。 ・李芳遠(太宗) 朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また夫を暗殺の危機から救い李氏朝鮮の建国に貢献した。しかし、夫が即位し後宮を持つようになると関係は悪化した。 ・李トウ(世宗) 朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し10子を儲けた。父が外戚を警戒し、昭憲王后を廃しようとしたときも妻を守り抜いた。 ・李弘イ(端宗) 朝鮮王。妻は1歳年上の定順王后。政治闘争に巻き込まれ16際の若さで流刑・処刑された。妻は毎日朝夕泣き叫んで夫の冥福を祈った。 |
3GM | 12歳年上の煌子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが世継ぎに恵まれず、立后後6年で彼女は没した。 ・藤原道長966 2歳年上の正妻倫子とは夫婦円満で子宝に恵まれたことが出世に繋がった。 ・ロベール2世972 フランス国王。8歳年上の又従姉妹ベルトと結婚したが、近親相姦にあたるとされローマ教皇に破門と引き換えに離婚させられた。離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。 ・一条天皇 皇后は3歳年上の定子。ともに教養人であった二人の仲は良好で会った。 ・三条天皇 2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽な理由で寵愛を失った。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。 ・後一条天皇 9歳年上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。 ・堀川天皇 妻は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして没すると篤子は出家した。 ・鳥羽天皇 2歳年上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。 |
2GM | ・オットー1世 神聖ローマ帝国初代皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え彼女が若くして亡くなると深く悲しんだ ・ルイ4世 西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキングに誘拐されたとき、彼女は交渉により解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた ・李克用856 後唐の太祖。3歳年上の劉夫人と結婚。武勇に優れた彼女は夫が朱全忠に殺されそうになると自ら軍を率いてその窮地を救った。 ・藤原朝光951 平安貴族。最初の妻と離縁し、親子ほど年の離れた未亡人と再婚した。その理由については金目当てとする説、聡明さに惹かれたからとする説がある。 |
1GM | ・ツタンカーメンb.c.1341 7歳年上の従姉妹アンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を考古学者カーターはどんな財宝よりも美しかったと称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。 ・ネロ37 7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理を施して霊廟に収めた。 ・曹丕187 魏の初代皇帝。3歳年上の文徳皇后を寵愛した。聡明な彼女は夫に助言を与え、曹丕も群臣の反対を押し切って彼女を皇后に立てた。 ・劉駿 南朝宋の皇帝。2歳年上の王憲嫄を寵愛した。 ・宇文邕 北周の皇帝。7歳年上の李娥姿を寵愛した。北周が滅びると彼女は出家し、常悲に改名した。 ・煬帝 隋の皇帝。占いにより吉とされた2歳年上の肅皇后と結婚した。聡明な彼女は外遊の度に付き従い度々夫の暴政を戒めた。 ・ムハンマド571 25歳の時に40歳の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし預言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房の彼女である ・仁明天皇810 1歳年上の淳子を愛し文徳天皇を儲ける |
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「フランソワ」さんが、GMとして村に入りました [大阪府] (21:26:08) | |
「第一犠牲者」さんが、村に入りました(1人目)(21:26:08) | |
TIPS: 第一犠牲者は、猫又にはなりません(21:26:08) |