佐々波マリ | 生い立ち [編集] 1956年2月26日、神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。 父親が茅ヶ崎で映画館を経営していた。桑田が音楽に興味を持ったのは、姉・えり子の影響が大きい(姉の岩本えり子は後年、いくつかサザン、桑田ソロの曲で英語補作詞として参加している。桑田によると、作詞に行き詰った際に電話で相談し、参考にしていたとのこと)。学生時代は、姉が集めていたビートルズ等のレコードを聴き入っていた。 学生時代 影響を受けたアーティストは、上記のビートルズ以外に、エリック・クラプトンやリトル・フィート、ボブ・ディランなどがいる。また、フィラデルフィアポップスや筒美京平の作品にも影響を受け[2]、それらは後の音楽活動(演奏、作曲等)の下地になっている。 石黒ケイは親戚で、近所に住んでいた。 中学生から高校生にかけ、今は無きパシフィックホテル茅ヶ崎のボウリング場でジュニアボウラーとして鳴らしていた。アベレージは200以上あり、クイズ番組「カルトQ」でも問題として出題された、アマチュアのボウリング大会に出た時の公式記録は297(10フレーム目の3投目だけは7本倒し、それまでの11投は全てストライク)とのこと。昭和40年代、大ブームだったプロボウラーを目指してもいたという。 当時ジュニアボウラーはあまり多くなく、パシフィックボウル茅ヶ崎で一緒にしのぎを削っていたのが、同い年で友人の文化放送アナウンサー扇一平である。その扇一平の娘で、映画「輪廻」の主題歌などで話題になったロックシンガーソングライターの扇愛奈は桑田の長男と同級生で、高校時代バンドを組んでかなりの人気があった。 また、桑田について中・高校時代の友人達は、後にワイドショーのインタビューに応じ「桑田は昔、歌手じゃなくてプロボウラーになりたがっていた」と語っている。 |